2013年10月23日
聖地巡礼の旅vol.3 沖縄観光&新里道場へ
さて三日目です。
三日目はレンタカーを借りる事にしました。
なぜかというと、夜に稽古させていただく予定の新里道場はホテルから
結構な距離で、バス等で行くのはいいけど終わった後(21:30)バスが
あるかどうか?タクシーで帰ってくるくらいならレンタカーの方が
安いのでは?と言う事で、早速借ります。
どうせなら、観光しますか!という事で観光ドライブへ。。
しかしながら沖縄の道路にはレンタカーだらけです。
「わわわわわわ・・・わ〜!」わナンバーばっかし。
確かにツアーはレンタカーが高確率でパックになってるそうで、まそりゃそうか。
まずは那覇の中心街、国際通りにほど近い「守礼堂」へいきます。
DOJO BARのはす向かいでした。
ここはもうご存知、武道界のミズノやアシックスみたいな存在。
入るといきなり外国の人々がたくさん・・さすが世界が誇るブランドです。
ガタイのいい外人達が英語でやりとりしながら道着をフィッティングしてたり。。
武道関連グッズで揃わないものはないのでは?
道着をもう一着無性に新調したくなりました。
いつ買うの??今・・はガマンです。予算もないのに危なかったです。
そこから車に乗り、次に着いたのは琉球ガラス村。
ここのPもレンタカーばっかりで若干笑えました。
いきなり工房が見えてきます。その工房内には同じブルーTシャツを着た職人達
が手慣れた手つきで次々とガラスの器らしきものを制作していきます。
しかしながらふくらませていく段階で既に綺麗な模様が・・
ふくらます前に色の着いた粉をつける事でそれが綺麗な模様になります。
「この日は涼しかったけど、夏は地獄だな〜」
オレンジに光る鉱炉に突っ込んでは取り出して、という作業は夏にはヤバイ気温
でしょう。なるほど、ダーダーに汗かき作業してる職人さんを見てからガラス館
に入る順路なので、
「あんなにガンバってっからなんか買ってやらな・・」
な気持ちになるわこれ。ウマいな〜!
と琉球ガラス村の巧みな売上UP戦略に感心しつつ売り場へ。
とにかく綺麗な琉球ガラスは、その柄デザインも様々。
中でも一番心を引きつけられたのがこの宇宙シリーズ。
皿や器の中に宇宙空間があるのです。うっとりです。
小金持ちだったらおそらくセットでいってたでしょう。庶民でよかったです。
続いて「ひめゆりの塔」へ。
ここはひめゆり学徒隊という、15〜19歳の男女学生達を中心に結成された
衛生救護隊で、太平洋戦争で傷ついた兵士達の世話役をしていました。
病院でもなんでもない、ただの壕の中で負傷した兵、死んでゆく兵を
一生懸命看護していました。それは地獄といっても過言ではない世界。
戦争中、突然解散を宣言された隊は逃げ惑いながら、ある生徒は襲撃され、
ある生徒は海に入水自殺、ある生徒は手榴弾を胸に自爆・・
結果300名弱が命を落とした、その慰霊塔です。
たった80年ほど前です。沖縄80万人中20万人弱が死んだ太平洋戦争。
4人に1人が亡くなっている訳です。
沖縄の歴史は戦争抜きでは語れない事が良くわかりました。
アレルギーがあるのも当たり前です。そりゃあ、普天間や米軍問題にも
ナーバスになりますよ。。。。
そこから、さらに修学旅行生であふれかえる平和祈念公園等をまわり・・・
いよいよ夜は稽古、新里道場です。
住宅街にあり、夜だった事もあって若干迷います。。
ナビ付きでも迷う。。ナビなかったらたどり着けなかったかも(笑)。
ようやく到着し、新里先生にやさしい笑顔で迎えていただきました。
真喜志道場もそうでしたが、掃除の行き届いた綺麗な道場です。
新里先生は70歳を迎えられ、まだまだ元気いっぱいです。
早速稽古をつけていただきます。
新里先生は初代宗家、長嶺将真先生に教えて頂いていたそうで、2代目高兆宗家とも
仲が良かったそうです。ケンカも良くしたとか(笑)。
高兆宗家が亡くなる二日前には一緒にお酒を飲まれていたそうです。
さらには、古武道の指導員資格もお持ちで、棒・サイ・ヌンチャク・鉄甲・トンファから
鎌・エークと様々な古武道の達人です。
「空手と古武道は車の前輪と後輪みたいなものだよ。」
そう笑顔でおっしゃっていたのを忘れません。
「あ〜、こりゃ全然時間足りないよ・・・一生かかっても無理かな・・」
武道は、知れば知る程、まだまだ学ぶ事が多すぎる事にイヤでも気づいて
しまうんですね・・・
(これ全部車に積んでたら、職質どころか逮捕?)
三日目も色々な事を学ばせていただき、22時を過ぎ、新里道場を後にしたのです。。
(やっぱレンタカーで良かったですよ)
三日目はレンタカーを借りる事にしました。
なぜかというと、夜に稽古させていただく予定の新里道場はホテルから
結構な距離で、バス等で行くのはいいけど終わった後(21:30)バスが
あるかどうか?タクシーで帰ってくるくらいならレンタカーの方が
安いのでは?と言う事で、早速借ります。
どうせなら、観光しますか!という事で観光ドライブへ。。
しかしながら沖縄の道路にはレンタカーだらけです。
「わわわわわわ・・・わ〜!」わナンバーばっかし。
確かにツアーはレンタカーが高確率でパックになってるそうで、まそりゃそうか。
まずは那覇の中心街、国際通りにほど近い「守礼堂」へいきます。
DOJO BARのはす向かいでした。
ここはもうご存知、武道界のミズノやアシックスみたいな存在。
入るといきなり外国の人々がたくさん・・さすが世界が誇るブランドです。
ガタイのいい外人達が英語でやりとりしながら道着をフィッティングしてたり。。
武道関連グッズで揃わないものはないのでは?
道着をもう一着無性に新調したくなりました。
いつ買うの??今・・はガマンです。予算もないのに危なかったです。
そこから車に乗り、次に着いたのは琉球ガラス村。
ここのPもレンタカーばっかりで若干笑えました。
いきなり工房が見えてきます。その工房内には同じブルーTシャツを着た職人達
が手慣れた手つきで次々とガラスの器らしきものを制作していきます。
しかしながらふくらませていく段階で既に綺麗な模様が・・
ふくらます前に色の着いた粉をつける事でそれが綺麗な模様になります。
「この日は涼しかったけど、夏は地獄だな〜」
オレンジに光る鉱炉に突っ込んでは取り出して、という作業は夏にはヤバイ気温
でしょう。なるほど、ダーダーに汗かき作業してる職人さんを見てからガラス館
に入る順路なので、
「あんなにガンバってっからなんか買ってやらな・・」
な気持ちになるわこれ。ウマいな〜!
と琉球ガラス村の巧みな売上UP戦略に感心しつつ売り場へ。
とにかく綺麗な琉球ガラスは、その柄デザインも様々。
中でも一番心を引きつけられたのがこの宇宙シリーズ。
皿や器の中に宇宙空間があるのです。うっとりです。
小金持ちだったらおそらくセットでいってたでしょう。庶民でよかったです。
続いて「ひめゆりの塔」へ。
ここはひめゆり学徒隊という、15〜19歳の男女学生達を中心に結成された
衛生救護隊で、太平洋戦争で傷ついた兵士達の世話役をしていました。
病院でもなんでもない、ただの壕の中で負傷した兵、死んでゆく兵を
一生懸命看護していました。それは地獄といっても過言ではない世界。
戦争中、突然解散を宣言された隊は逃げ惑いながら、ある生徒は襲撃され、
ある生徒は海に入水自殺、ある生徒は手榴弾を胸に自爆・・
結果300名弱が命を落とした、その慰霊塔です。
たった80年ほど前です。沖縄80万人中20万人弱が死んだ太平洋戦争。
4人に1人が亡くなっている訳です。
沖縄の歴史は戦争抜きでは語れない事が良くわかりました。
アレルギーがあるのも当たり前です。そりゃあ、普天間や米軍問題にも
ナーバスになりますよ。。。。
そこから、さらに修学旅行生であふれかえる平和祈念公園等をまわり・・・
いよいよ夜は稽古、新里道場です。
住宅街にあり、夜だった事もあって若干迷います。。
ナビ付きでも迷う。。ナビなかったらたどり着けなかったかも(笑)。
ようやく到着し、新里先生にやさしい笑顔で迎えていただきました。
真喜志道場もそうでしたが、掃除の行き届いた綺麗な道場です。
新里先生は70歳を迎えられ、まだまだ元気いっぱいです。
早速稽古をつけていただきます。
新里先生は初代宗家、長嶺将真先生に教えて頂いていたそうで、2代目高兆宗家とも
仲が良かったそうです。ケンカも良くしたとか(笑)。
高兆宗家が亡くなる二日前には一緒にお酒を飲まれていたそうです。
さらには、古武道の指導員資格もお持ちで、棒・サイ・ヌンチャク・鉄甲・トンファから
鎌・エークと様々な古武道の達人です。
「空手と古武道は車の前輪と後輪みたいなものだよ。」
そう笑顔でおっしゃっていたのを忘れません。
「あ〜、こりゃ全然時間足りないよ・・・一生かかっても無理かな・・」
武道は、知れば知る程、まだまだ学ぶ事が多すぎる事にイヤでも気づいて
しまうんですね・・・
(これ全部車に積んでたら、職質どころか逮捕?)
三日目も色々な事を学ばせていただき、22時を過ぎ、新里道場を後にしたのです。。
(やっぱレンタカーで良かったですよ)
Posted by シュリ at 17:46│Comments(0)
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