2018年07月17日
沖縄空手~世界に誇る伝統文化!
(1)沖縄で生まれた空手の歴史
空手発祥の起源についてはさまざまな説があるが、琉球王国の士族が教養として学んだ護身術が
そのルーツであるとされている。
1719年に来琉した冊封副使の徐葆光が、1721年に著した『中山伝信録』という本の中で
「拳頭打(テイイチクン)」という琉球語を紹介している。
これは現在の「ティヂクン(正拳)」と考えられ、この頃には「ティヂクン」を使用する「手(ティ)」という
武術が誕生していたことが推測されている。
又、歴史書『球陽』の中にも18世紀初期には、棒術などが地方に伝播していたことが紹介されている。
「手(ティ)」はやがて「マキワラ」などの鍛錬具による独特の鍛錬法や素手による護身の武術、棒・サイなどの
武具を使用する武術として「形」を生み出し、沖縄空手の世界を完成させ発展した。
琉球王国時代に完成した空手は、松村宗棍、東恩納寛量、松茂良興作などの努力により一層の発展を遂げる。
さらに廃藩置県(1879年)後、糸洲安恒などの努力により広く学校教育や一般にも普及するようになった。
(2) 鍛錬が培う高邁な精神
沖縄空手では、心身の鍛錬を通して護身の技と高邁な精神性を培うことが重要視されている。
形・マキワラなどの鍛錬具・相対しての技の修練と鍛錬は骨をも突き砕くティヂクンと矛先のような鋭い蹴り、
何ごとにも動じない不動心、襲い来る敵の動きを封じる「目ぢから」すなわち眼力をも養成する。
技の修練と心身の鍛錬によって得られた「武力」と人格者としての崇高な精神を体得した
空手家だけが「武士」と呼ばれ、気高い「武士」の精神は、現在の空手家に受け継がれている。
(3) 世界に広がる空手の原点
空手発祥の地沖縄から、多くの人々が、世界へと空手を伝えて来た。
首里で空手家として知られた屋部憲通は、1927年、ロスアンジェルスからの帰途ハワイに立ち寄り、
又剛柔流を創始した宮城長順は、1934年ハワイの新聞社「洋国時報社」の招待を受けハワイへ渡航し、
沖縄空手を指導した。
太平洋戦争後、南米や北米に移住した空手家たちは沖縄在住の空手家と連携を保ちながら多くの門弟を
育成している。フランスやスペインなどヨーロッパに単身渡航し、血のにじむような努力を重ね、
多くの門弟を育成している沖縄空手家もいる。
又、米軍統治下の沖縄で空手に魅了され、修業にまい進した米軍人・軍属の
空手家が母国で積極的に普及している例も少なからずある。
1922年富名腰義珍が、東京で開催された第1回運動体育展覧会で空手を紹介するため上京。
義珍はそのまま東京で居を構え、沖縄県学生寮であった「明正塾」で空手の普及に全精力を傾ける事になった。
その後、関西でも摩文仁賢和、宮城長順などが普及を開始。富名腰の指導した空手は松濤館流として、
摩文仁系統は糸東流として花開き、世界に羽ばたいている。
日本の四大流派といわれている松濤館流、糸東流、剛柔流、和道流(大塚博紀開祖)をはじめ、
戦後、急速に世界へ普及・発展した空手の原点は沖縄にある、という事は異論の余地はない。
(4) 平和の武 守礼の心
「空手に先手なし」
「人に打たれず、人打たず、事なきをもととするなり」
沖縄空手の先人が残した金言にも、礼節を尊ぶ平和の武としての精神性が表されている。
技法や技術だけではなく、守礼の心を学ぶことこそが、多くの空手愛好家が、海をこえて沖縄を
訪れる大切な理由なのである。
記事引用元: 沖縄県文化観光スポーツ部空手振興課
http://www.pref.okinawa.jp/site/bunka-sports/karate/index.html
空手発祥の起源についてはさまざまな説があるが、琉球王国の士族が教養として学んだ護身術が
そのルーツであるとされている。
1719年に来琉した冊封副使の徐葆光が、1721年に著した『中山伝信録』という本の中で
「拳頭打(テイイチクン)」という琉球語を紹介している。
これは現在の「ティヂクン(正拳)」と考えられ、この頃には「ティヂクン」を使用する「手(ティ)」という
武術が誕生していたことが推測されている。
又、歴史書『球陽』の中にも18世紀初期には、棒術などが地方に伝播していたことが紹介されている。
「手(ティ)」はやがて「マキワラ」などの鍛錬具による独特の鍛錬法や素手による護身の武術、棒・サイなどの
武具を使用する武術として「形」を生み出し、沖縄空手の世界を完成させ発展した。
琉球王国時代に完成した空手は、松村宗棍、東恩納寛量、松茂良興作などの努力により一層の発展を遂げる。
さらに廃藩置県(1879年)後、糸洲安恒などの努力により広く学校教育や一般にも普及するようになった。
(2) 鍛錬が培う高邁な精神
沖縄空手では、心身の鍛錬を通して護身の技と高邁な精神性を培うことが重要視されている。
形・マキワラなどの鍛錬具・相対しての技の修練と鍛錬は骨をも突き砕くティヂクンと矛先のような鋭い蹴り、
何ごとにも動じない不動心、襲い来る敵の動きを封じる「目ぢから」すなわち眼力をも養成する。
技の修練と心身の鍛錬によって得られた「武力」と人格者としての崇高な精神を体得した
空手家だけが「武士」と呼ばれ、気高い「武士」の精神は、現在の空手家に受け継がれている。
(3) 世界に広がる空手の原点
空手発祥の地沖縄から、多くの人々が、世界へと空手を伝えて来た。
首里で空手家として知られた屋部憲通は、1927年、ロスアンジェルスからの帰途ハワイに立ち寄り、
又剛柔流を創始した宮城長順は、1934年ハワイの新聞社「洋国時報社」の招待を受けハワイへ渡航し、
沖縄空手を指導した。
太平洋戦争後、南米や北米に移住した空手家たちは沖縄在住の空手家と連携を保ちながら多くの門弟を
育成している。フランスやスペインなどヨーロッパに単身渡航し、血のにじむような努力を重ね、
多くの門弟を育成している沖縄空手家もいる。
又、米軍統治下の沖縄で空手に魅了され、修業にまい進した米軍人・軍属の
空手家が母国で積極的に普及している例も少なからずある。
1922年富名腰義珍が、東京で開催された第1回運動体育展覧会で空手を紹介するため上京。
義珍はそのまま東京で居を構え、沖縄県学生寮であった「明正塾」で空手の普及に全精力を傾ける事になった。
その後、関西でも摩文仁賢和、宮城長順などが普及を開始。富名腰の指導した空手は松濤館流として、
摩文仁系統は糸東流として花開き、世界に羽ばたいている。
日本の四大流派といわれている松濤館流、糸東流、剛柔流、和道流(大塚博紀開祖)をはじめ、
戦後、急速に世界へ普及・発展した空手の原点は沖縄にある、という事は異論の余地はない。
(4) 平和の武 守礼の心
「空手に先手なし」
「人に打たれず、人打たず、事なきをもととするなり」
沖縄空手の先人が残した金言にも、礼節を尊ぶ平和の武としての精神性が表されている。
技法や技術だけではなく、守礼の心を学ぶことこそが、多くの空手愛好家が、海をこえて沖縄を
訪れる大切な理由なのである。
記事引用元: 沖縄県文化観光スポーツ部空手振興課
http://www.pref.okinawa.jp/site/bunka-sports/karate/index.html
Posted by シュリ at 00:00│Comments(0)
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