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2015年09月13日

空手の“かた”は「型」か「形」か?

浜松支部の福川2段が以前の初代宗家に関する記事を見つけてくださり、それについて
寄稿いただきました。
以下ご参考までにお読みください。

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松林流初代宗家の長嶺将真先生が空手の“かた”に「形」の文字を
使用しているのには強い信念がお有りになったことは存じ上げておりました。
事実、長嶺将真先生が執筆なされた「史実と伝統を守る 沖縄の空手道」の中にも
“「形」と「型」の使い方について”の記述があります。
それ以外にも新聞等で論文を発表なさっていたはずでしたが、その文献になかなか
お目にかかれませんでした。
今回「沖縄 空手道・古武道の真髄(那覇出版社)」にその新聞記事が掲載されて
いたことが幸運にもわかりましたのでここに紹介させていただきます。


“「形」には命がある” 
見出しからしてなみなみならぬ熱い思いが伝わってきます。
内容を簡単に説明しますと(要点を本文から抜粋)、
“なぜ型でなく形でなければならないかというと「形」の字には命がある。
その命は努力すれば成長するし、心をゆるめれば退歩して毎日変化するのである。
「型」の字に命が無い。辞典にある通りいわゆる形式通りで特色、個性等が見られない。
これは命が無い単なるものであるからである。例えば写し書きやコピーは単なる物質で、
生命がないからである。”

(私的な考えになりますが「形の練習→技をみがく」「型の練習→動きの順番を覚える」の様にも解釈できます。)

またその続きの文章に
“これと同じように伝統の武術百般の文化、これを正しく継承するに、
直接師から、体の触れ合いから体得したものではないと本物は生まれないのである。
決して言葉や文書のみでは本物を教えることはできない。”

と記述があります。

私、個人としては上記の「続きの文章」に強く感じ入るところがありました。
その理由は、二代目宗家である長嶺高兆先生のセミナーに始めて参加させていただいた
約6年前までにさかのぼる事になります。
その当時、私は突き等での引手が上手く出来ませんでした(しっくりこない状態)。
突きの合同練習中の私の横を宗家が通通する時に突然スッと手を添えて引手の位置を
修正(引く方向の調整)していただきました。今まで出来なかった理由が突然わかり
感動的(衝撃的)だったことを今でも覚えています。
今年になって、その時の事などを東海地区本部長の小波蔵政昭先生にお話したところ
「初代宗家も“体の触れ合う生きた教え”を非常に大事にしていました。それが松林流の良いところです。」
とお教えいただきました。この新聞記事を知ったのはその後の事ですがまさにその通りでした。

私的な話を付け加えてしまったので、説明が少し散漫になりすみません。
詳細については添付した新聞記事をご参照下さい。

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